こんにちは!PUCHIです。

過去にパニック障害になった経験がありまして、
毎日体調が良い方向に行ってるのかわからない毎日を3年くらい過ごし、普通の生活が送れるようになるまで回復しました。

本記事では、私のエピソードを絡めて「パニック障害になって良かった」と思えたことを書いてみようと思います。

あくまで「私はこうだった」という、リアルな話です。
よろしければ、ご覧ください。

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パニック障害になって「良かった」と思った、たった1つのコト

パニック障害が私の人生で学びを与えるための試練だったとしたら、

「家族の大切さ、尊さ」

に、気づくためのものだったんじゃないかなって思います。

パニック障害で苦しんだ日々を過ごしましたが、
このことに気づけて本当に良かったと感じています。

こんな感じで発症しました

最初に発作が出たのは新婚旅行でハワイに到着した日。

ワイキキを歩いていると、
突然血の気が引いて気持ち悪くなり、目がチカチカしてどんなに呼吸しても息が吸えていない感覚になったんです。

必死にトイレを探しましたが、日本と勝手が違ってすぐに見つからず日陰で少し休んだんですが、いつもの体調に戻る気配がなく、、、、、
元々体力に自信がなかったので、その時はただの「疲れ」だと思っていました。

けど、日本に戻っても全く体調が戻らず悪化する一方で、仕事に行けなくなり休職。

何の前触れもなく突発的に過呼吸のような発作が一日の中で何度も出たりする毎日で、

今日は発作があんまり出なかったな。

と思えば、次の日には、

発作が頻発して、寝たきりのような状態で一日を過ごす。

っていう日々を繰り返していました。

食欲も全くなく、摂取できるのは「お水・ゼリー・お蕎麦・おにぎり」で、それを一口二口食べるのが精一杯。
当たり前ですが、みるみるうちに痩せていきました。

家族のサポート

先ほど、「新婚旅行で初めて発作が出た」と書いたわけですが、
「新婚ホヤホヤ」の時期で、入籍してすぐは子供をすぐに授かりたいと思っていました。

ハワイから帰ってきて私がこんな状態なので子供を考える余裕もなく、
夫は、寝たきりのようになった何もできない私を責める空気を微塵も出さず、私の体の心配や気遣いを常にしてくれていました。

寝たきり状態なんで、もちろん食事やお弁当なども作れなかったんですが、

「寝てていいよ、休んでて」

と、ずっと変わらない温度で言ってくれていたんです。

たまに外に出て歩いている最中に突然発作や気持ち悪さが出て動けなくなっても、

「お水買ってくるかい?もう少し行けば日陰で休める所あるよ」

とか気遣いをしてくれながらも、私が落ち着くまで絶対に急かすような空気を出さずに待ってくれていました。

そんな毎日を過ごす中で、何もできない自分に情けなさと悔しさを感じながら、夫がしてくれているコトについて考えるんです。

逆の立場でも、もちろん「心配や気遣い」をしていたと思いますが、
3年もの間、急かすような素振りや雰囲気を一切出さずに、ただただ「体調の回復を願う」ってことできるだろうか?

それって、ただ「好き」とか、「結婚してるから」とか、そんな単純な思いだけじゃできない。

「自分が愛されている」っていうアピールをしたいわけではないですが、
本当に「深い愛」がないと同じ優しさで3年間も一緒に居れないんじゃないかと思ったんです。

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また、私の両親も、
ひたすら私の「回復」を願って、食べられそうなものを見つけては届けてくれたり、
夫が仕事で家にいない間は迎えに来てくれて実家に連れてって休ませてくれたりしました。

そして、気分が安らぐような音楽や、体調が良い時に家で簡単にできるエクササイズの本など、
「私に良いんじゃないか?」と思うようなもの、ありとあらゆるものを買って届けてくれたりもしました。

夫や両親にこんなにしてもらって、そこでやっと「自分は大切に思われているんだ」って心の底からちゃんと受け止められた気がします。

それまで、私は他人と比較しては「だから自分のこういう所がいけない」と自分を否定していたので、この感覚は回復するためにとても大事なものでした。

約3年の間、出口があるかわからない暗いトンネルを進むような感覚で、
「私の一生はこの状態なのか」と絶望すら感じたのですが、家族のサポートのお陰で乗り越えることができました。
家族(夫とも両親とも)との絆っていうのもぐっと深くなった気がしています。

今こうやって書いている最中も、感謝の気持ちが溢れてきて何度も泣きそうになりますね。

パニック障害になるまで「家族の大切さ」をわかっていなかった

それまで、家族(両親)を大切に思っていなかったわけではないんですが、
家族の予定よりも、自分の予定があれば優先していましたし、一人暮らしで実家を出てからは、用事がなければ実家に帰らないっていう感じでした。

無下にしていたつもりでもないですし、ぞんざいにしていたわけでもありません。

「いつでも会えるから、ちょっとくらい自分のしたいことを優先にしても良いかな」くらいに考えていました。

今思えば、「家族の大切さ、尊さ」っていうのを浅く捉えていたんだと思います。

パニック障害になり、ベッドで一日を過ごすことが多いと色々何かを考えちゃうわけなんですが、
「親と過ごせる時間、夫と過ごせる時間は有限だし、大切に思ってくれる愛って本当に尊いものなんだな。」って深くちゃんと解った気がします。

そこからは、何よりも「家族と過ごす時間を大切にしたい」と思うようになりました。

「絶対に治ってみせる」と思う原動力

それまで、ただ「いつも通りの生活に戻りたい」と思っていたんですが、
私が「30分外で散歩できるようになった」とか、「地下鉄乗れるようになった」とか出来るようになった(回復した)ことを報告すると、
夫や両親は自分のこと以上に本当に喜んでくれました。

そこからは、「できることを増やして家族を喜ばせたい」というモチベーションで、
リハビリ的なことに取り組めるようになりましたね。

「自分の体」が弱っていて「自分のため」に回復させたいんですが、
「自分じゃない誰かのため」がモチベーションになると、底知れぬ力が本当に湧いてきました。

もちろん、無理はしないように努めていましたが、いつも「目標+α達成できるようにしよう」という思いに変わりましたね。

人生の「守るべきもの」が明確に

「1ではなく0.01前に進む」っていうような、本当に微々たる前進の毎日を重ね、社会復帰するまでになりました。

これからの私の人生は、当たり前かもしれませんが「家族が一番大切」というのが揺ぎ無いものになりました。

家族を喜ばせるために頑張るし、家族の力になりたいから頑張る。

とにかく、苦しい時を支えてくれた家族を幸せにしたいです。

夫も両親も「PUCHIが元気で楽しい毎日を送っていることが幸せ」って言ってくれますが、幸せを大きくし続けたいなって思っています。

20代半ばから3年間、経験したことのない苦しい毎日でしたが、
この日々が教えてくれたのは「家族の大切さ」だと思っています。

本を読んだりするだけでは得られない、尊いものを教えてくれたこと、感謝しています。

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